空気の研究
空気に意思決定を拘束されている。目の前で議論を交わしているのに、一方の意思がどこか知らない環境の空気に縛られていると、もう一方の意見を述べる意味がなくなってしまう。
というのが印象的でした。
確かに、このような場面は仕事においてもよくあると思います。
また、「人骨」という物体に対し、ある人種は連日目にしてもなんの影響も受けなかったにもかかわらず、日本人は2人いて2人とも体調を崩してしまったとか。
これは、物体そのものを事実として捉えているのではなく、その物体の背景や、この本で言うところの「空気」を感じ取ったためであるとのことです。
石像に対して拝む行為をするなども、まさにこの話です。
水の概念
「水を差す」というように、出来上がった「空気」が崩壊することが一種の水であると言える。
空気が崩壊する前、私たちは夢を語っていたりします。
水を差されて、現実に引き戻されるために、空気が崩壊するというのです。
つまり、現実の世界にいる=通常=水の連続であると述べられています。
これを「通常性」と表現しています。
空気が盛り上がるのと対照にある言葉です。
タイトルに「研究」とあるだけあって、全体的に、読みづらいです。
読みづらいと言うのは、批判して言うのではなく、私が普段読んでいる自己啓発本、小説などとは根本的に書き方や、情報量が違います。
実際はもっと深い話が書かれているのだと思うのですが、よく理解できず、、
どういう人が読んだら筆者の言うことを正しく、もれなく理解できるのだろう、、などと考えながら読み進めていました。