生き方

『才能の正体』坪田信貴




才能=能力ではない

確かに、と思いました。
才能は、ある辞書では生まれつきの能力、と定義されています。
辞書によって解釈がかなり異なるようです。

「才」という字は飛び出た、尖った、という意味があるそうです。

つまり、

能力の飛び出た部分が才能。

天が与えた、飛び出た部分がある人が天才。

「やればできる」ではなく「やれば伸びる」

才能の有無、地あたまの良し悪しを判断するにあたり、人は過程ではなく結果のみをみているようです。
できるかできないかではなく、伸びるかどうかという観点であれば、ダイエットも頑張れそうですね。

ビリギャルの著者の方が書かれた本なので、大学受験、学力の話が多くなっていますが、個人的には学歴なんてどうでもいいかな、と思っています。

今30歳で、大学に合格したのは18歳の時なのでもう12年も前ですし、今の私をそれで評価されたり、馬鹿にされたり、というのがどうしても納得がいかなくて。。

友達が昨年出産して、〇〇大学に行けるくらいの子に育てたい、と言ってた時も、20年後その大学に入ることにどんな意味を期待しているのだろう、とよく理解できませんでした。

私は昔からたくさん習い事をしていたので、参考にしたいから何歳で何を始めたか教えて、と言われて教えましたが、自分の子育ての仕方によって子供がバカになることを恐れているようで、正直どうでもいい、と思ってしまいました。

勉強したいならすればいいし、他にやりたいことがあるというならそれをやらせてあげればいいし、0歳の頃から勉強がどうとか気にしてたらめちゃくちゃ疲れそうだな、と思いました。

毎日笑顔で過ごせてたらそれでよいのでは、と思います。

社会に出て余計に、大学までの勉強ができることに何の意味があるのだろう、と思います。
どこの大学ですか?って、聞かなきゃわからない情報ですし。

今どんな生き方をしているのか、の方がその人の事を知る上では必要な情報ではないでしょうか。

無意識の制限、しつけ

子供の頃に親がしつけと称して様々な制限を子供に課すことが、その子の人格に大きく影響します。

例えばこんな制限、として挙げられているものが、日常にありふれているものばかりで、自分も子供の頃言われてきたし、外を歩く親子にもそのような会話はもちろんあるし、というモノでした。

改めてみてみると、もうちょっと自由でもいいかな、と思います。

図書館で走り回る、とかはちょっとちがうかな、と思うのですが、
人への迷惑をしつけの基準とすると、子供にも、大人であることを求めてしまっていて、窮屈な思いをさせてしまうのではと思います。

子育てするなら、のびのびと育てられるところに住みたいなあと思いました。

いとこが子供たちを「自由」な幼稚園に通わせています。
学びたいことを自分で選ぶのだそうです。

小学校、中学校で受動的な勉強を強いられる要素が多いので、自分で判断する能力をつける、という意味で、大学のようで、すごくいいなと思いました。




 

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