小説

『虚ろな十字架』東野圭吾

すごく悲しいお話でした。
十字架が、虚ろなんです。

すごく昔、子供の頃、ニュースを見ながら兄が、

人を殺したら死刑でいいじゃないか

と言ったのを今でも覚えています。

そんな簡単な話なら裁判とかないのでは、と思ったりしたものですが
この主張って、被害者側からしたらおそらくもっともなことで、
でも、加害者側にも事情があるならそれは汲み取らねば、ということなのだと思います。

疑わしくは被告人の利益に

とどこかで聞いた記憶がありますが
過去の冤罪事件などのニュースを見ていると、そうしといてあげてよ、と思わなくもないです。

実際私はどちらの立場に立ったことも、身近な人間がその立場に置かれたこともありません。

一応、法学部出身ですが・・・。

実際に現場で起こっていることを、文字でルール決めするって
難しいことだと思います。

なので、六法全書を読んでもよくわかりません。
解釈や判例に委ねられている部分が多すぎると思います。

目には目を、歯には歯を

と大昔から言われていますが、それで満足なのか、と言われるとそうでもないのだと思います。

ある人が目を失って、その原因を作った人がわざとだった場合とそうでなかった場合とで、原因を作った人が目を失うことの意味って変わってきますよね。
だからその「意味」をできるだけ等しくするために、
一生懸命事実確認をしたり、複眼で判決を検討したりするんですよね。

もし私が誰かの不注意で指を失ったとしたら、
日常生活に支障をきたすだけではなく、大好きなバイオリンを弾くという楽しみや、バイオリンを通じて出会うはずだったオーケストラの人たちとの出会いも奪われることになります。

私にとってバイオリンがどれだけ大きな存在なのか、というのはまた正しく理解されるには難しすぎることだと思います。

昔やってて、今はオーケストラも辞めてて、好きなときに1人で弾いてます。

というのと、

昔からやっていて、今は技術を見直すためにオーケストラをお休みして、1人で練習したり、音楽を好きになる人が1人でも増えたらいいなと思ってYouTubeも始めました。

というのでは、事実は一つでも、
伝わる内容には大きな違いがあるのではないかと思います。

人間は感情があって面倒だな、AIになりたいな、なんて2,3年前は思ったりしていました。

でも、ある方に、

感情は捨てなくていい、コントロールすればいい

と言われたときに、ストンと落ちました。

最近はアンガーマネジメントなどといったりしますが
感情は自分勝手なもので、自分の感情は相手には関係ないと思います。

なので、感情に突き動かされる自分の行動も、同様に相手には関係ないことだと思います。

一方で、人間は感情で動くもの、とも思っています。
昔は理屈で動くものだと思っていたし、だからこそ法学部に進学して日本のルールを知ろう、知ってる方が強い。

そう思っていました。

あまり役には立っていません。
理屈で動くと思っていた頃はよく怒っていたし、口喧嘩もしばしば。

大人になって、感情で動く人をどう前向きに動かすか、ということを考え始めてからの方が、ずっとうまくいっています。

また、だいぶ逸れてます、、
結論を出すことが難しい話題なのでつらつらと思うことを書いてしまいました。

まとめることもできず、ここまでにします。

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